ストレスが話題になる時

カウンセリングでは多様なテーマが話題になりますが、ストレスそのものが話題になることもあれば、何かの一コマでストレスに触れることもあります。

ストレスの自覚

一つには、ストレスを自覚する過程で話題に上るということがあると感じています。実はあれがストレスだったのかもしれないと、カウンセリングの深まりとともに、気づかれるストレスがあるのではないでしょか。

ストレスを自覚した方が良いのかどうかという点については、議論の余地があると思いますが、自覚することで、進展することも多々あるでしょう。

実際のところわからない面も多い

しかし、ストレスがはじめから明確である場合もあることから考えても、自覚ということが進展のエッセンスなのかどうかはわかりません。

また、あるストレスがはじめは悪影響しているように見えていても、ある時期から実は好影響を与えている存在だったと見えるようになったと感じることもあります。

これは中国の故事にある、万事塞翁塞が馬の世界観と通じるところがあるでしょう。

こうして考えて行くと、ストレスの位置づけや考え方は、決して一義的にはできないのではないかという考えをおびてきます。

カウンセリングにおけるストレス

全ての場合に当てはまることではありませんが、ストレスを共有する中で、やはりその意味のようなものが共有されてくることがあります。

ストレスという、いわば表層的なことを通して、実は、その人の生き方根底に関わる、大事な話を共有していたと感じることがあるのです。

これはストレスということに限らず、様々な話題を対象にして生じることでもあると考えています。

カウンセリングにおけるストレスの位置づけを考える場合、そこにはいくつかの階層があるようにも思えてきます。理論上のなど事、日常生活上でのこと、カウンセリングと言う非日常での事、などであり、同じことを話題にしているはずでも何かが違うわけです。心理学は、汎適応症候群にも後に注目し、確かにストレスという概念に注目してきました。そういうわけで、ストレスとカウンセリングに親和性がないはずはないのですが、カウンセリングの中でストレスがテーマにのぼる時には、単にそういうことだけではないと感じています。