もうネクタイを締めるのは嫌だ。堅苦しくやってられない

ネクタイ嫌い多くの職場では、ネクタイの着用が当然のように義務付けられています。

クールビズの導入で、多少ごまかしが効くようになってきましたが、それでも ネクタイは常備していることが必要なのです。

単純に、首のあたりの締め付け感が不快であるという人もいれば、ネクタイ を着用すると、何か堅苦しい気持ちになるという人もいるのではないでしょうか。

何かの刑事ドラマのキャラクターのように、いつでもスーツをかっこよく着こなすのも憧れではありますが、決して真似できそうにありません。

ネクタイを締めていると、窮屈になって来る

特に職場などでは、普段の自分自身そのままというわけにはいかないと思います。

程度はあれ、どこか緊張したり、よそ行きの顔をしているものです。

休憩時間などに、一息つけるかもしれませんが、それは全体の時間の1割にも
満たないでしょう。

仕事でも家庭でも一貫している人はいるのだと思いますが、本来大雑把な人が、 窮屈な規則にがんじがらめになって働いている場合もまた多いものではないでしょうか。

一貫している人は、特に変化が起きることはないのかもしれませんが、思うに、窮屈な思いをして過ごした人は、何か開放的な感覚を手にしたいと思うのではないでしょうか。

それも、より動物的な活動になるように思うのです。

ネクタイとは、このような職場で感じる、窮屈感などを象徴する代表格ではないでしょうか。

バランスを取っている?

職場で、感覚的でないことばかりをして窮屈になったら、その帰り道何をしたくなるでしょう?

分かり易い所では、ビールでも飲んで帰る人が結構いると思います。

その他には、運動もありそうな気がします。

昨今、スポーツジムが流行っていますが、そこには、仕事の窮屈感との兼ね合い もあるのでしょうか。もうそうだとすれば、ジムでの運動は、あまり形式的なものに しないほうが伸び伸びできるのではないでしょうか。

どちらも、動物的なセンスを使う事ですから、十分にそのような時間を過ごすことで、ある種、1日のバランスがとられていく良い機会になる可能性が高いと思います。

仮に残業が続いてしまうと、バランスを取る時間が短くなってしまいます。1月ぐらいの内に、相殺ということでもできれば良いと思いますが、どうしても仕事以外の事が後回しになってしまうこともよくあることです。

それに、運動や気晴らしを、義務化していくと、本末転倒になると思います。

余りに、このような日々が忙しく続いたときには、生き方そのものを考えるとき、
ということなのかもしれません。